「近年の異世界(RPG)ライトノベル作品における指導者役の不在について」

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 先日、すでに再アニメ化が告知されていた「ダイの大冒険」関連の情報が一気に公開され、アニメの最新情報に加えていくつかのプラットフォームでのゲーム化、さらにはVジャンプでアバン先生を主人公にした新連載の開始まで告知されました。「アバン先生」は、同作品でかつての勇者として主人公たちを教え導き、さらには自分も敵と果敢に戦う名キャラクター。この「ダイの大冒険」でもとりわけ人気の高いキャラクターで、自分も1、2を争うほど好きなキャラクターだっただけに、今回の展開には思わず身を乗り出して喜んでしまいました。なんでも、かつての連載当時にアバン先生の外伝が掲載されたのもVジャンプだったらしく、ここでの再登場はかつてのファンの誰もが待ち望んだものとも言えそうです。

 

 自分がこの「アバン先生」を好きな理由は、とにかくまさに「先生」として、すなわち後進の主人公達を教え導く指導者役として優れていたこと。こうした導師(メンター)役のキャラクターは、かつての少年マンガやファンタジーではよく見られたもので、このアバン先生に匹敵する名キャラクターとして「ドラゴンボール」の亀仙人や、あるいは同じドラクエマンガとして「ロトの紋章」の賢者カダルの存在も思い出しました。

 

 ところで、こうした指導者役のキャラクターは、かつての作品ではひとつの定番としてありふれたものでしたが、ここ最近の一部作品において、とりわけこの作品とも共通するファンタジーやゲーム原作ものにおいて、なぜか不在となることが増えているように感じていました。特に、一部で「俺TUEEE」と呼ばれてよく話題にされる、ライトノベルを中心としたオンラインゲーム(MMORPG)ものや異世界転生ものにおいて顕著です。

 

 こうした作品において、主人公やメインキャラクターたちが、誰か特定の指導者についてそこで本格的な指導を受ける。そうしたシーンが見られることは多くありません。オンラインゲームならば、基本的にはひとりでゲームをやりこんで強くなる形となり、異世界転生ものにおいても、最初から強い能力を持ち合わせていたり、あるいは自分自身の機転のみで難局を切り抜けていく。そういう作品が極めて多く、ひとつの主流になっているのではないかと感じます。

 

 こうした「俺TUEEE」とも呼ばれる作品、よく揶揄や嘲笑の対象になったり、そうでなくとも「強すぎてつまらない」と不評を受けることが目立ちますが、それにはこうした「指導者役の不在」も一因となっているような気がします。指導者もいないのにひとりで勝手に強くなっている。そうした設定に対する納得感が薄いのではないか。アバン先生のような優秀な指導者の元でみっちり修業したのなら、それは強くなるのが当たり前であり、そのことに対して誰も文句は言わないでしょう。

 

 なぜこうした設定が広まるようになったのか。いろいろ理由は考えられますが、ひとつには今のオンラインゲーム(MMORPG)のあり方が、そうしたゲーム舞台作品やその延長的な設定の異世界もの作品に波及していると考えました。


 そもそも、こうしたオンラインゲームにおいて、「誰か先達の指導者にゲームのやり方を指導してもらう」というような光景は、現実でもまず考えられません。誰もがひとりでプレイを始めてひとりでやりこんで強くなっていくわけです。「ソードアートオンライン」のアニメ冒頭1話において、主人公キリトがひとりでひたすら戦闘の訓練をするシーンがありますが、それこそがまさにMMOPRGでは当たり前の光景なのです。
 これは、RPG以外のゲーム、競技志向のいわゆる「eスポーツ」に該当するゲームでもそうで、ほとんどの強豪プレイヤーたちは、ひとりひとり独学でやりこんで強くなっている。こうしたプレイヤーの活動において、仲間同士で協力してゲームをやりこむことはあっても、年長の指導者に厳しい指導を受けて強くなったという話はあまり(ほとんど)聞きません。

 

 そうしたゲームの現状を、直接的にこうした創作作品に落とし込んでいると考えれば、別に指導者不在でも何もおかしいことはない。今のゲームに慣れた読者にとっては、こうした設定こそが現実そのままで、そこに共感を覚えて支持されているのではないか。
 「ダイの大冒険」も、原案はドラクエというゲームですが、そちらはまず古典的な「異世界ファンタジー」としてのスタイルがあります。モンスターが跋扈する厳しい世界において、修羅場を潜り抜けた優秀な指導者の下で、厳しい試練を乗り越えて強くなる。そうしたバックボーンがある点で大きく異なります。これは同じドラクエマンガである「ロトの紋章」でもそうで、そのベースが伝統的なファンタジーである点が大きい。
 対して、今のライトノベルMMORPG異世界転生ものは、まず「ゲーム」や「現実の世界」の方がベースにあり、そうした世界での常識が優先される設定になっているわけです。ゆえに主人公がひとりでゲームをやりこんでひとりで強くなっていくし、ゲームの能力を継承したり現実の知識を異世界に持ち込んだ主人公が、そこでその能力を駆使して最初から活躍したりする。そこにあえて指導者の存在は必要ないことになります。

 

 ここで留意すべきは、別にこういう指導者不在の設定だからといって、決して今の作品が劣っているわけではないということです。ひとりでのたゆまない努力とこれまでの経験・知識から道を切り開いて活躍する。そうした面白さを感じて支持している人の方が、「俺TUEEE」と言って面白半分に叩いている人よりも圧倒的に多く、それがアニメ化作品も相次ぐほどのジャンルの隆盛につながっている。昔の名作には昔の名作の、今のヒット作には今のヒット作ならではの面白さがあるわけです。今回の「ダイの大冒険」というかつての名作の新展開を受けて、そのことを改めて確認したいと思いました。