「少女終末旅行」(2)

kenkyukan2017-12-15

 さらには、そんな短いエピソードひとつひとつに込められた物語も非常に深い。人間の文明が崩壊した世界で、かつて当たり前に存在した文化の豊穣さを逆説的に伝えるようなものも多く、今を生きるわたしたちの心にはひどく響くものがあります。その最たるものが、「住居」というタイトルで、何もない廃墟の部屋でかつて様々な豊かな生活用品が置かれていた光景をふたりが夢想するエピソードでしょうか。夢想から覚めて現実に帰ったときが本当に切ない。
 住があれば食の楽しみもある。やっと辿り着いた食料生産プラントで残っていた芋はたったのひとつ。しかし、芋の粉だけは数多く残っていたので、それに砂糖と塩と水を混ぜて焼いて作ったものを食べて、やっとひと時の幸せを得るエピソード「調理」。「甘いって幸せだよね」というユーリの一言が身に沁みる名エピソードとなっています。同じく、月夜の下で偶然見つけた酒(ビール)を飲んで踊り明かすエピソード「月光」も印象深いです。

 一部には宗教や哲学領域に踏み込む話もあり、かつての宗教施設であろう巨大神殿に偶然立ち寄ったふたりが、あの世を再現したという光景を見て何かを思うエピソード「寺院」にはそれを強く感じました。この話には関連すると思われる話がのちにあり、そのエピソード「記憶」では、無数に墓と思われる施設が立ち並ぶ場所で、「もう誰も訪れないし覚えている人も誰もいないよ」というチトに対して、かたわらに立つ神の石像にユーリが触れ「そのためにこいつがいるじゃん」と返すセリフに感動してしまいました。ふたりは神の存在自体は何も信じてはいないようで、わたし自身もそれほど強く意識してはいませんが、しかし「そのために神がいる」というのは納得せずにはいられませんでした。

 かつての生産施設でたった1匹だけ生き残った魚を巡って、ふたりと自動機械(ロボット)が対話する「水槽」「生命」もあまりに深い。「かつては人も機械も魚も都市も生きていて循環していたんだ」「それもいつか終わりが来る」「生命って終わりがあるってことなんじゃないか」というチトの語りに、作者ならではの哲学を強く感じました。どうも原作者のつくみずさんは、「静かな終わり」というものに憧憬を描いているようで、「終わりが来ることはすべてにとって優しいことである」という思想にもひどく共感してしまいました。