架空の地方都市から実在の舞台へ。アニメ・マンガ・ゲームにおける舞

kenkyukan2018-03-02

 前回の日記でも最後で少し語りましたが、昔のアニメでも実在の場所を舞台にした作品はありました。しかし、それ以上に、日本を舞台にしたアニメでは、架空のありふれた場所を描く作品も多かったと思うのです。それも、どこか平均的な地方都市の街並みを描く作品は多く、それがひとつの主流だったかもしれません。これは、アニメだけでなくマンガやゲームでも共通していました。
 これについては、かつてあの押井守が次のような発言をしたことがありました。

 「アニメーションというのは不思議なもので、「ここはどこだ」とはっきり言わないと、大体「そこは東京である」と思っちゃうんです。」

 これは、すなわち東京という街が、日本の首都で最大の都市というだけでなく、それが日本の平均的な街の姿でもあって、そうした街をアニメやゲームで描こうとすると、必然的に東京(的な光景)になってしまうと、そう言いたいのだと思います。つまり、マンガやゲームに登場する「架空の地方都市」というのは、「東京的な現代日本の象徴」とも言える舞台であった。だから、架空の都市でなければならない。かつては、そうした作品の方が一般的で、どこかその地方の住人にしか分からない場所を描くよりも、日本全国どこの視聴者にも伝わりやすい場所を描く方が、無難な制作方針という判断があったのかもしれません。

 (なお、これは何もコンテンツに限らず社会全般に関する問題でもあり、すなわちかつて多くの地方都市が、活性化のために東京をモデルにした街づくりを行った結果、「東京の縮小版のような個性に乏しいありふれた地方都市」にしかならなかったという失敗をも含んでいるような気がします。これはこれで色々語りたいところですが、今回のテーマからは外れますのでいずれまた書きたいところです。)

 ただ、そんな中で、その東京だけは実在の場所として作中の舞台として設定されることは多かったと思います。すなわち、日本の平均的な街並みを代表する存在で、かつ全国の視聴者に知られた圧倒的に知名度の高い場所として、東京だけは舞台になることを許されたということでしょう。
 加えて、東京という街が、現実でありながらどこか非現実的な未来都市のようなイメージを有していることも、SFやファンタジー作品の多いアニメやマンガ、ゲームで舞台に採用されるひとつの理由になっていたかもしれません。「女神転生」シリーズなどはその代表で、東京の幻想的なイメージをそのままゲームの世界観に採用した好例だと思います。

 しかし、時代は変わりました。特定の舞台をクローズアップして取り上げるタイプのアニメがヒットしたことをきっかけに、いわゆる「聖地巡礼」という楽しみ方が広まり、今となってはすっかり定着した感があります。「らき☆すた」から「たまゆら」「ガルパン」、そして「君の名は。」「この世界の片隅に」。「らき☆すた」の頃はまだマニアックなオタク向けの趣味だったかもしれないが、今となっては一般にまで幅広く浸透しテレビで取り上げられるまでになりました。それによって、制作側でも特定の場所を舞台に設定し、実在の場所を詳細に描く作品がもはや当たり前になりました。

 この変化は、基本的には非常にいい方向への変化であり、「必ず東京になってしまう」ような個性に乏しい架空の地方都市を描くよりも、その地域ならではの特色に満ちた場所を積極的に描く方が、ずっと面白くなったと思うのです。これが地方の魅力の再発見に繋がり、地方の活性化に貢献するきっかけになるなら幸いですね。