エニックスアニメ企画大賞の話。

kenkyukan2018-03-08

 今回はかなり古い話ですが、かつて90年代のエニックスが、一瞬だけアニメの事業を始めようとしたことがあった話をしようと思います。98年に開催された「エニックスアニメ企画大賞」です。
 これは、そのタイトルどおり、アニメに関する企画の投稿を一般から募集しようというもの。そもそも、エニックスは、何か新しい事業を始めるときに、こうした形で優秀な人材を公募し、それで大きな成果を挙げてきました。
 もともとのエニックスは、他の事業をマルチに運営する会社だったようですが、1982年に開催した「ゲーム・ホビープログラムコンテスト」で、当時としては(あるいは今でも?)破格の賞金総額300万円・最優秀賞100万円を掲げてゲームのプログラム作品を大々的に一般募集。これを機にゲームの制作に本格的に参入することになります。この時に多くの受賞作が出て、いくつかはそのまま商業化されて発売されました。この時に発掘されたのがあの中村光一堀井雄二で(中村光一の受賞作「ドアドア」もそのままの形で発売されています)、のちにドラゴンクエストを制作する中核メンバーとなりました。

 次いで90年には、当時すでにドラクエ4コマなどで参入していた出版事業で「エニックスファンタジーコミック大賞」を開催。幅広くマンガ作品を募集し、この時にも数多くの応募作が集まりました。この賞を受賞したのが渡辺道明西川秀明柴田亜美といった作家陣で、のちに創刊される少年ガンガンを支える優秀な連載陣となったのです。

 そんな風に、新規事業に参入する際にまず賞を開催して一般から優秀な才能を集め、それで事業を立ち上げるというのが、エニックスがやってきた優秀な方針だったと言えます。そんなエニックスが、アニメ事業に参入しようとした時に行ったのが「エニックスアニメ企画大賞」。98年に開催が告知され、翌99年に結果が発表されました。

 肝心の賞の内容ですが、「アニメ企画部門」「アニメシナリオ部門」「アニメ声優部門」「メカデザイン部門」の4部門で応募を募る大々的なもの。審査員には出崎統藤川桂介野沢雅子らが担当しました。最優秀賞の賞金も企画部門で300万円と非常に高額だったことを今でも覚えています。実際に企画部門で大賞受賞者も出て、他にも多数の受賞作品が大々的に発表されました。

 そんな風にかなり大規模な形で始まったエニックスのアニメ事業参入計画ですが、しかしこれ以降の動きらしい動きはほとんどなく、事実上このアニメ企画大賞だけで終わってしまいました。実際に社内でどういう決定が下されたのか知る由もありませんが、少なくとも早期にアニメ事業参入をあきらめたことは間違いない。アニメ事業が想像以上に厳しいと判断したのか、あるいは優秀な人材が思ったほどには集まらなかったのか。もしこの時点でアニメ事業に本格参入していれば、のちのスクエニ作品のアニメ化を自社でやっていたことも十分考えられるわけで、それはそれでもしかしたら楽しかったかもしれないな・・・とちょっと想像してしまいました。

 ただ、唯一「アニメ声優部門」において、のちに活躍する新人声優を何人か発掘したのが、わずかな成果だったと思います。この時に賞を受賞した声優志望の方では、まず野川さくらさんがいました。声優部門での大賞受賞で、最も大きく取り上げられていたことを今でも覚えています。
 もうひとり挙げるとすれば今井麻美さんでしょうか。のちにアイドルマスターの千早役で一気に人気を得ることになりますが、実はこのエニックスアニメ企画大賞の出身。アイドルマスターでの活動を始めたのが2005年と随分と後のことだったので、あれこんなところで・・・とその名前を聞いて驚いた記憶がありました。ちなみに受賞直後のデビュー作は、あの「刻の大地」のドラマCDだったりします。