なぜ「魔法陣グルグル」でフランス思想家の名前が使われているのか。

kenkyukan2017-11-16

 先日より再アニメ化で新シリーズのアニメが続いている魔法陣グルグル。旧作のアニメよりかなりのハイペースであるものの、原作の面白さはほとんど失われておらず、毎回面白くて心の底から笑って楽しんでいます。しかし、原作の中盤からそろそろ後半へと差し掛かってくるあたりで、ひとつ興味深いことに気付くことになりました。
 それは、このあたりで登場するキャラクターの一部に、現代フランスの哲学者・思想家の名前が使われていること。具体的には、ガタリデリダラカン・バルトといった人々の名前で、僧侶や魔法使いのようないわゆる賢者的なキャラクターのネーミングに使われていることが多い。グルグルには、ダジャレや語呂合わせ、あるいは服飾や音楽関係からのネーミングも多く、むしろそちらが大半なのですが、その中にこうしたフランス現代思想の名前が混ざっているのは面白いと思いました。これは、以前自分が原作を追い掛けていた時は気付かなかったことで、今回の再アニメ化で初めて気付きました。以前気付かなかった理由は、自分のそうした分野への知識がまだ乏しかったことに加えて、グルグル自体がRPGパロディを基本にしたギャグ・ファンタジーマンガで、あまりそうしたイメージと結びつかなかったことが大きかったと思います。

 ガタリ(フェリックス・ガタリ)は、フランスの哲学者で精神科医。後述のラカンに学んだポスト構造主義の先駆者の1人で、「分子革命」などの自著に加えて、同じフランス哲学者ドゥルーズとの共著も多い。グルグルにはプラトー教という宗教が登場しますが、これはこのふたりの共著のひとつ「千のプラトー」から取られたものだと思われます。哲学関連で、古代ギリシャの哲学者のプラトンが元ネタという説もありますが、ここまで現代フランス思想関連の名前が集中しているところを見ると、こちらが元ネタである可能性が高いと思います。

 デリダジャック・デリダ)は、この中でも特に有名な思想家かもしれません。ポスト構造主義の代表的な哲学者で、いわゆる「脱構築デコンストラクション)」の概念を提唱したことであまりに有名。グルグルでも、中盤のクライマックスのアラハビカ編において、勇者に啓示を与えて導くというとりわけ重要な役どころを担うキャラクターになっています。

 ラカンジャック・ラカン)も有名な人物。フランスのいわゆる構造主義の思想家で、パリ・フロイト派のリーダー。鏡像段階の仮説や現実界象徴界想像界という概念で知られる。グルグルではかつて冒険者だった老人として登場し、「ラカンの日記」というダンジョンの攻略日誌を残しているところが面白いです。自分は結局そのダンジョン(きりなしの塔)を攻略できなかったが、その日記のおかげで勇者たちがついに攻略に成功した。「若き日の私はついに彼らと一緒に攻略したのだ」という一文が泣ける屈指の名エピソードになっています。

 バルト(ロラン・バルト)も、フランスの哲学者で批評家。「物語の構造分析」を手掛けた批評家として知られ、特に「作者の死」という、「物語において作者は神ではなく、作品を読み解くのは読者である」という概念を提唱したことで、現代のコンテンツを享受するわたしたちにとっても無視できない存在だったりします。

 こうしたフランスの現代思想家の名前が、なぜ「魔法陣グルグル」で採用されているのか。きっかけとしては、作者の衛藤さんが、こうした分野への興味や知識を持っていたり、あるいは実際に大学などで学んだ経験があるのではといったことは容易に推測出来ます。しかし、それをあえてこのマンガ(RPG的な世界を舞台にしたギャグファンタジー)に取り入れた理由を考えると中々興味深いところです。

 個人的な推測としては、この「魔法陣グルグル」、RPGをパロディにした尖ったギャグ要素が非常に強かった初期の頃から、連載中盤に差し掛かるとやや雰囲気が柔らかくなり、豊かな世界観をより強く押し出してファンタジー的な雰囲気が強くなってきたこともあるのかなと思ってます。とりわけ、アラハビカ編においては、ヒロインのククリの心の中を描く精神的なストーリーも全面に出てくるあたりで、そうした精神的な物語をも作中で描きたかった衛藤さんの思惑と、こうした分野への興味が一致したのかもしれない。グルグルの創作においてもしかしたらそうした発想が起こったのかなと、そんなことを考えると面白いと思いました。