「オアシスロード」という古き良きゲーム。

kenkyukan2018-06-29


前回、20周年を迎えたというギルティギアを取り上げたので、今回は同じく20年前のゲーム「オアシスロード」を取り上げたみたいと思います。こちらは非常に知名度の低いゲームだと思われ、知っている人は多くないかもしれません。
 「オアシスロード」は、1998年にアイデアファクトリーから発売されたPSソフト。タイトルどおりどこか中央アジアを彷彿とさせる砂漠地方が舞台。ジャンルとしては世界を探索して地図を作っていくシミュレーション+RPGといったところでしょうか。
 とにかく世界観と雰囲気は最高のゲームです。砂漠化が進み文明が後退してゆく世界。各地の交易が途絶え街が衰退し、人類が滅びに近付くこの世界で、キャラバンを組んで旅をして各地の交易を復活させるのがプレイヤーの目的です。ゲームの主な舞台となるマップ画面は、かつてアラブ圏で使われた円形の地図をモチーフにしていると思われ、タイトル画面でもその一端を見ることが出来ます。

 ゲーム自体は非常にシンプル。白地図と思われるマップ画面で好きな方向に移動すると、行った先にあったもの(街や遺跡)がそのまま地図に書き込まれる。そうして各地を探索して地図を完成させるのがひとつの目的です。さらに、行った先の町や村で、なんらかの生産物(特産品)があるなら、それを買い上げて他の場所に移して交易することが出来る。そうしていくつかの交易路を作っていくと、衰退して失われていた産業が復活する。例えば、染料の交易路と絹糸の交易路を復活させると、その合流点となる街で絹織物の産業が復活する。そんな感じのゲームだったと思います。
 加えて、各地の遺跡を探索し、失われた知識を復活させるという目的もあり、古い時代の情報を得るたびにストーリーが進む。そうして世界が衰退し滅亡へと向かう理由を突き止めるのも、プレイヤーのひとつの目的となっています。

 ただ、個々のシステムはあまりにシンプルすぎて、ほとんどが作業に終始し、ゲーム的な攻略性ややりこみ要素は決して高くありません。ゆえに、そうした点では物足りない点は否定できない。これは、後述するようにこのゲームが非常に小規模な開発体制で作られたことに起因しています。
 唯一、これはちょっと面白いなと感じたシステムがあり、それはアイテム回りのクリエーション要素です。プレイヤーがアイテムを加工して別のアイテムを作り出すシステムで、これだけなら他にも同様のゲームがあるのですが、このゲームの面白いのは、「プレイヤーが何もしなくても勝手にアイテムが変化することがある」ということ。

 具体的には、キャラバンの馬車でヤギを飼っておくと、しばらくすると勝手にミルクが生産されます。また、このヤギから毛を刈ることも出来るのですが、しばらくすると再び毛が生えてきてまた刈ることが出来ます。
 さらに「番犬」と「獣骨」を同時に持っておくと、いつのまにか獣骨がなくなり、代わりに小動物が馬車の中にいる(どうやら犬が狩ってきたらしい)。また、カイコの幼虫を持っておいた場合、しばらくするといつの間にかいなくなっています(成虫になって飛んで逃げた?)。
 極めつけは、にんじんを持っておくと、いつの間にかそのにんじんがなくなっていて、代わりに野生の馬が馬車に乱入している(笑)。これには思わず笑ってしまいました。

 すなわち、ゲーム中の時間の経過によって条件が満たされるという、のちのオンラインゲームでよく見られるシステムとも言えますが、これだけシンプルなゲームの中にそれを取り入れているのが面白いと思いました。「こちらが何もアクションを起こさないのに勝手に変わっていく」というところに、あの頃のゲームではあまり見られない面白さを感じたのです。

 そして、こうしたシンプルながらきらりと光るゲームを、わずか2人で作ったというその開発体制の特異さを挙げておきたい。音楽だけは外注で他に3人のコンポーザーが担当していますが、それ以外は本当にすべて2人で作っていたようです。当時のゲーム情報誌のインタビューにその詳細がありました。
 それによると、1人が企画・システム他プログラム以外のすべてを担当し、もうひとりがプログラムのすべてを担当。開発機材は中古のPC2台のみ。そこにソニーから提供されたPS用開発機材が刺さっているだけ。仕事場はそのパソコンが置かれたアパートの一室で家賃は18000円。ゲームの製作費用もひと月18000円。すなわちその家賃のみ。
 まさに「限界ゲーム制作」と言っていい状況で、これがPSの商業ゲームとして出たことがまず驚きです。今なら同人かインディーズで出てもおかしくないですし、あるいは確実にネット経由のダウンロードで販売されているのではないか。これは、この90年代後半には、まだネットがほとんど普及していなかったという理由もありそうです。おそらくは、この頃が、こうした小規模な個人制作のゲームが、商業でパッケージ販売される最後の時代だったのではないか。そんな古き良きゲームの時代を思い出してしまいました。