ネガティブキャラクターこそが今共感を呼ぶ物語。

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 現在公開中の映画「アリータ」の脚本・制作のジェームス・キャメロンが、映画に対するインタビューで「世界中どの国でも通用するエンターテインメント」「誰にとっても『自分の物語』だと感じるストーリーが魅力」などと語っていました。これは、総じて世界的に見ればそのとおりかもしれませんが、しかし今の日本において、とりわけ最新のアニメやマンガに触れているユーザーに対してはどうか?とも思いました。


 わたしとしては、今の深夜アニメを見ている一部の人にとって、最も自分の物語だと感じるのは、こうしたダイナミックな活躍を見せるSFやファンタジーの主人公ではなく、かおす先生(こみっくがーるず)やみゃー姉(私に天使が舞い降りた!)のようなコミュ障ぼっちオタクではないのか?と思うわけです。ひとつ前の日記で取り上げた「ぼっち・ざ・ろっく」の主人公ぼっちちゃんも、まさにこれに該当します。

 

 以前からこうしたオタクやネガティブなキャラクターをクローズアップした作品は存在しましたが、ここ最近はこうした日常系や萌え4コマと呼ばれる作品においても、ひとつのトレンドとなりつつあるような気がします。「こみっくがーるず」の主人公のかおす先生(萌田薫子)がその代表とも言え、極端に卑屈でネガティブな一方でオタク趣味に没頭している姿は、特徴的な声も付加されたアニメを通じて、多くの視聴者に強烈な印象を残しました。「私に天使が舞い降りた!」の主人公のみゃー姉こと星野みやこも、普段は引きこもりのコミュ障でしかし日々オタク趣味を楽しんでいる女子大生という設定。あるいは、「となりの吸血鬼さん」の吸血鬼さんことソフィーも、性格自体はそれほどネガティブでもなく常識的なようですが、しかし一方で日々積極的にマンガやアニメなどオタク趣味を楽しんでいたり、あまり人付き合いを好まないなど、こうした方向性のキャラクター描写が窺えます。こうした設定のキャラクターが、ごく自然に登場する作品が、以前よりも目立つようになりました。

 

 アニメ化されていない作品からは、前述の「ぼっち・ざ・ろっく」がその典型的なタイトルですが、もうひとつきららから「のけもの少女同盟」あたりも挙げておきたい。何らかの事情でクラスで「のけもの」にされた少女たちが、保健室に集まって社会復帰のための活動を行うという、まさにこうした作品の方向性がストレートに表れた内容ではないかとだと思います。

 

 これまでは、最近こうしたキャラクターがいくつも見られるようになったのは、単なる偶然だと思っていました。しかし、改めて考えると、これは決して偶然ではなく、近年のひとつの流れになっているのではないか?と思えるようになりました。かつては(今でも)社会問題として取り上げられ、否定的な扱いをされることも多かったぼっちやコミュ障、引きこもりやオタクといった属性が、今ではそうした性格を持つ人たちを惹き付け、共感を呼んでいるのではないか。自分たちのあり方と共通する物語として見る時代になったわけです。

 

 ジェームス・キャメロンは、かつて25年前に知人(友人で映画監督のギレルモ・デル・トロ)から紹介された『銃夢』の世界観にはまり、映画化権を取得するものの実際の制作は遅れに遅れ、ついにこの2019年に公開する運びとなっています。あの『銃夢』がもう25年前のマンガだということに感慨を覚えてしまいますが(連載期間は1990年~95年)、この25年の間に日本のマンガやアニメはあらぬ方向へと進化していた(笑)。今の日本では、こうしたネガティブなキャラクターもまた、読者や視聴者の共感を呼ぶ最先端の物語となっていると思うのです。