やがてアニメになる(なった)。

kenkyukan2018-10-02

 いよいよ迫ってきた秋クールのアニメ放送ですが、今回はいつにも増して原作付きアニメで楽しみなものが多く、今から放送を待ち望んでいるところです。その中でも個人的に本命は、なんといっても「やがて君になる」でしょうか。電撃大王で連載が始まったのはもう3年以上前ですが、「もう3年経ったのか」と思ってしまうほど、今でも新鮮さに満ちた作品として追い掛け続けています。最近の電撃系雑誌は、急速に百合系作品に力を入れるようになり、「新米姉妹のふたりごはん」や「熱帯魚は雪に焦がれる」などの期待作が何本も連載され、「エクレア」という百合アンソロジーまで定期的に刊行するようになりましたが、それはこの「やがて君になる」の成功が最大の理由のひとつであることは間違いないと思います。

 本作の最大の魅力は、やはり百合的な(女の子同士の)ひとつの恋愛の姿を真正面から描いていることでしょう。「誰かを特別に思う気持ちが理解できない」という悩みを抱える少女・小糸侑と、そんな彼女を見て「ならば素の自分を見てくれる」という希望を抱いて接しようとする生徒会長・七海燈子。そのふたりの自らの悩みに対する葛藤と、それを理解した上で徐々に近付いていくふたりの関係性。それがひとつひとつのエピソードを通じて丹念に描かれています。

 さらに、このふたりの関係性のみならず、周囲のキャラクターの間でも様々な形での恋愛、愛情、交流の形が見られるのも見所です。主人公の侑の抱く「誰かを特別に思う気持ちが理解できない」という感覚も、やや特殊な心理とも言えますが、他にも、例えば自分自身は恋愛をする欲求のない、いわゆる「無性愛」とも取れる男子生徒(槙聖司)や、小説を通じて作者に特別な感情を抱く女子生徒(叶こよみ)など、様々な感情を見せるキャラクターが登場。こうした現代的とも言える恋愛の多様性の描写も、大きな魅力ではないかと思います。

 さらにもうひとつ、タイトルの「やがて君になる」に直接結びつく、もうひとつの大きなテーマを描いているところも魅力ではないかと思います。燈子が、かつて死んだ姉の影から逃れられず、その代わりになるべく努力してきた結果抱いた、素の自分を好きになれずにいるという大きな悩み。それが解消される大きな契機となる生徒会による文化祭劇。原作ではひとつのクライマックスとして先日通り過ぎたばかりですが、これがアニメでどう描かれるのかも注目したいと思います。

 こうしたシリアスな作品ではありますが、作中の雰囲気は必ずしも暗いところばかりではなく、原作の仲谷さんの中性的な絵柄も手伝って、さらっとした明るい雰囲気が全面に感じられるのも魅力でしょうか。これは、掲載誌が電撃大王であることも関係しているかもしれませんが、少女マンガ的な雰囲気・絵柄の多い百合姫の作品と比べても、少年誌寄りのバランスの取れたかわいさが同時に感じられるのです。個人的には、こうしたビジュアル的な要素も、人気の大きな理由になっているのではないかと思っていますし、それがアニメでどう再現されるかにも期待したいですね。